沖縄、鹿児島を回る



2012年12月28日〜2013年1月4日 7泊8日

第2回目の日本一周の旅は、沖縄と鹿児島を回ることにしました。山陰や四国なども回りたいのですが、降雪のことを考えるとこの時期は南の方しか回れません。前々から訪れたいと思っていた美ら海水族館を旅行の中心に据えて、沖縄から鹿児島を回ることにしました。

12月28日 土曜日

沖縄行きの飛行機が午前8時発なので、自宅を午前5時20分に出発しました。新宿から山手線に乗り換えて浜松町まで向かいます。この時期、この日の車内には昨夜の忘年会で盛り上がった酔客と年末の旅行客が乗っています。忘年会の帰りと思われる若者のグループは、これからラーメンを食べに行こうなどと話していました。


羽田発8時の沖縄行きJAL903便は、年末に沖縄で過ごそうという観光客で満員でした。午前10時55分に那覇空港に到着。空港から「ゆいレール」に乗り換えて県庁前駅に向かいました。ゆいレールはモノレールで那覇の市内を巡っています。県庁前駅で下車して5分ほど歩いたところにタイムズレンタカー那覇久米店があります。ここで今日から30日までの3日間、レンタカーを借りました。

レンタカーは空港でも借りられますが、今回は二日後に那覇で一泊するのでその宿泊ホテルに近いレンタカー会社の方が便利でした。空港のレンタカーは空港内にはなく、手続きや借り出しに以外と時間がかかります。ちょっと離れたところの方がかえって便利という場合もあります。さあ、いよいよ旅行の始まりです。

レンタカー会社の近くの沖縄そばの店(姉妹で経営の店でしたが、今回食べた沖縄そばの中では抜群の美味しさでした。)で昼食を済ませてから、沖縄自動車道で一気に名護市に入りました。許田ICで高速道路を降りて、国道58号に入るとすぐに道の駅「許田」があります。ここで美ら海水族館の割引入場券を購入しました。本部町の今宵の宿「チサンリゾート沖縄美ら海」はもう間近です。

ホテルのチェックインを済ませてから、家内と二人でホテルの庭を散歩しました。ホテルの目の前の海は東シナ海で、沖には伊江島が見えます。また、隣は美ら海水族館で、水族館には歩いていけます。明日は開場と同時に入場する予定です。


本部町には沢山の食事処がありますが、今日は手近でということで夕食はホテルのディナーバイキングにしました。バイキングは沢山の種類の郷土料理が一度に食べられるので、とても便利です。食べ過ぎてしまうのが難点ですが。美味しい料理に舌鼓を打ちながら、明日の水族館への期待がたかまりました。


12月29日 日曜日

朝8時30分にホテルを出て、歩いて水族館に向かいました。歩いてといっても3,4分しかかかりません。手前の公園で記念写真を撮りながら、入場口に向かいました。


入場口で記念写真を撮ってもらいました。レイをかけられて少し照れくさいのですが、まあ旅の恥は、、、、。途中をはしょって見ながら、目指す目的地「黒潮の海」に向かいました。黒潮の海はこの水族館の核心的な展示水槽で、巨大なジンベイザメを筆頭に大型の魚を中心に展示しています。他の展示も素晴らしいのですが、来場者の最大の関心はここの展示です。そのためここはいつでも大混雑ですが、今日は早い入場なのでゆっくり見ることができます。


ジンベイザメ、マダラトビエイ、マンタ、ロウニンアジなど人気の魚が巨大な水槽の中を泳いでいます。これを見に来たということもありますが、魚の泳ぎを見ていると時間の経つのを忘れてしまいます。私達は水槽の前で1時間以上も立ち尽くしていました。


黒潮の海を堪能してから、館内をゆっくり見て回りました。ただゆっくりと言っても、10時を過ぎると観光客が増えてきて通路はどこも混み合ってきました。館内は「大海への誘い」「サンゴ礁への旅」「黒潮への旅」「深海への旅」というテーマを掲げて展示しています。サンゴ礁はふだん潜っているので、黒潮の後は深海魚を中心に見て回りました。


この水族館では通常の展示とは別に、黒潮の海の大型水槽を上から見れるようになっています。エレベーターで4階に上がり、水槽の上部に設けられた通路を歩きます。水槽の前で見たのとは違う魚の姿が見られました。


お昼までの約3時間半、私達は水族館にいましたが少しも長く感じることはありませんでした。外に出てると海岸まで広がる公園が見えました。沖の伊江島もよく見えます。出口近くのお土産店では、織物やガラス器、焼き物など沖縄の名品が売られていました。お土産に小皿を二枚買いました。そろそろお腹が空いてきました。


午後からは今帰仁村(なきじんそん)の屋我地島と古宇利島を回ることにしました。二つの島は橋で結ばれていて、車で簡単に行くことができます。途中の道の駅で昼食を済ませて、島へと向かいました。


屋我地島と本島にかかる橋はさほど長くはありませんでしたが、屋我地島と古宇利島を結ぶ橋はかなりの距離がありました。遠浅の海にかかる長い橋を渡ると古宇利島です。橋のたもとが公園になっていて、多くの観光客が訪れていました。私達も公園の駐車場に車を止めて、公園を散策しました。



帰りは古宇利島から屋我地島までは来た道を戻りましたが、屋我地島からは北側に架かる別の橋から名護市方面に向かいました。ここから国道58号に入り、途中で右折して本部町の真ん中を通る県道を走りました。この道沿いに「グラスアート藍」があります。道の左側に看板が見えたので、そこを曲がり駐車場に車を止めました。工房にショップが併設されていて、脇の小屋がアウトレットショップになっていました。ここで水滴模様のついた小鉢を二つ購入しました。



二泊目の夕食は地元の店と決めていたので、昨日のうちにホテルお薦めの店を聞いていました。ただ年末なので開いているか不安だったので、昨日のうちに場所の確認を兼ねて下見をしました。名護市にある居酒屋「海」(かい)は日曜日が休日ですが、店に電気がついていたので中を覗いて聞いてみると日曜日もやるとのことでした。そこでその場で早速予約を入れたのでした。

下見の際に近くのスーパーを見学しました。ムラサキ芋のパイや沖縄そばなどが土産物店の半額近い値段で陳列されていました。また、居酒屋近くの八百屋ではカツオ菜が売られていました。九州特産ながら中々見られない美味しい菜っ葉です。

居酒屋「海」では家内はオリオンビール、私はシークアーサージュースを飲みながら、地元の料理に舌鼓を打ちました。時間が経つにつれて地元の人たちが次々にやってきて、最初は二組だった客がいつの間にか満席になっていました。仕事納めをしてきたようなグループもいて、とても賑やかでした。


念願の水族館を訪問したので、明日は沖縄の最北端、国頭村の辺戸岬に向かいます。その後、国道58号を一気に南下して夜は那覇に泊まります。


12月30日 月曜日

本部町から辺戸岬までは、国道58号をひたすら北東に向かって進みます。行程は約80キロメートルですが、途中には「おおぎみ」と「ゆいゆい国頭」の二つの道の駅があります。道の駅は地域の特産物などを売っているので、寄って見学するのは旅の楽しみです。「おおぎみ」では取り立てのシークアーサーを頂きました。


辺戸岬は沖縄本島の最北端で、太平洋と東シナ海の荒波がここでぶつかっています。天気が良い日には、遙か北22キロメートル沖合に鹿児島県与論島が見えます。今日は曇り空ですが、沖合にうっすらと与論島が見えました。


岬は園地として整備されていて、駐車場やトイレが設置されています。園地の中には遊歩道があり、のんびりと歩くことができます。かつては売店やレストランがあったようですが、今はあずま屋があるだけでした。


沖縄が日本に復帰するまでは岬の先の北緯27度が国境でした。沖縄では日本に最も近い場所だったのです。本土復帰を願う人々がこの岬に立って沖の与論島を見ながら、いつの日か必ずと復帰運動を続けた象徴的な場所でした。昭和47年に沖縄は日本に復帰しましたが、その復帰を記念して建てられたのが祖国復帰闘争碑です。この碑文には、この碑が復帰の喜びを表明するものではなく、勝利の記念でもなく、闘いを振り返り、決意を新たにし、人類が永遠に生存し、自然の摂理のもとで生きながらえるために警鐘をならすものであると刻まれています。


この岬に来るにはレンタカーが主な交通機関のようで、那覇などの喧噪さとは打って変わり観光客もまばらです。向かいの与論島と沖縄を結ぶ定期船の航路は本部町にあります。住む人も少なく、断崖に囲まれたこの地域では難しかったのでしょう。不便さと絶景は裏腹なのかもしれません。


岬から東の方を見ると、山の中腹に大きなヤンバルクイナの銅像のようなものが見えました。何の記念物かと思っていると、園地の解説版に展望台だと書いてありました。早速行ってみることにしました。


国道58号を東に向かい、公民館の手前で左折すると車1台がやっと通れる道になってしまいました。対向車が来ないことをひたすら祈りながら進むと、やがて小さな駐車場に出ました。ここに車を止めて少し歩くと、目の前に巨大なヤンバルクイナが現れました。一部壊れているようで像の中には入れませんでしたが、ここからさっき行ったばかりの辺戸岬が良く見えました。


次に茅打ちバンタを訪ねました。国道58号を少し戻ったところにあるのですが、高さ80メートルの断崖が東シナ海に向かって突き出ています。バンタとは方言で崖のことで、束ねた茅を崖から投げ落とすと強風でバラバラになったことからこの名がついたといわれています。ここも園地として整備されているようで、遊歩道やトイレなどが設置されていました。今日の観光はここでひとまず終了です。ここから一気に南下して、一路那覇を目指します。


名護市から沖縄自動車道で一気に那覇に行くこともできますが、時間は十分にあるので国道58号をひたすら南下することにしました。読谷村の吉野家で牛丼の昼食をとり、近くの宅急便センターで旅の荷物の一部を送りました。那覇には午後3時前に到着。レンタカーを返してから、ホテルサンパレス球陽館にチェックインしました。


那覇では島唄ライブを聞きながら夕食をとりたいと思っていたので、ガイドブックなどを見ながら店を選びました。検討の結果、「島唄ライブ 樹里」に行こうということになり、早速予約の電話を入れました。予約時間は午後7時だったので、国際通りをブラブラしながら行くことにしました。


樹里は国際通りの松尾交差点から松尾消防署通りを南に少し行ったところにありました。昨夜は満員だったということでしたが、今日は比較的お客が少ないようでした。沖縄最後の夜だったので、飲めない私も薄めの泡盛で乾杯です。


7時半くらいになるといよいよライブが始まりました。なだそうそうや花などの代表的な沖縄の歌が、三線の哀感一杯の調べにのって私達を包み込みました。至福の一時でした。


グルクンの唐揚げ、豆腐ようのピザなどを次々に平らげてしまいました。隣のテーブルでは女性が一人で飲んでいたので声をかけると、一人旅で北九州から来ているということでした。私達はたちまち意気投合。歌に合わせて一緒に踊りました。これが旅の楽しさですね。


ライブステージは夜3回あります。7時30分、8時30分ともう一回です。最初は7時30分のライブだけで帰るつもりだったのですが、歌はうまいし料理も酒もうまいでもう1回聞くことにしました。かくして沖縄の夜は更けていったのでした。


12月31日 火曜日

ホテルの朝食バイキングをゆっくり頂いて、9時30分にチェックアウトしました。ゆいレールで那覇空港に向かい、10時50分発鹿児島行き全日空3784便に乗り込みました。帰省の人が多いかと思いきや、意外にも沖縄からの観光客と思われる人がかなりいるのには驚きました。温泉の少ない沖縄から温泉大国の鹿児島に行くのだそうです。飛行機は満席でした。

鹿児島空港には12時5分に到着しました。空港の中のレストランで昼食の後、バジェットレンタカーで車を借り、一路霧島温泉を目指しました。国道223号を上っていくと、やがて霧島温泉郷に至ります。今日泊まる霧島キャッスルホテルもこの一角にありますが、チェックインには少し早いので霧島神宮まで足を伸ばすことにしました。

霧島神宮に向かう途中に、道の駅「霧島」・神話の里公園がありました。道の駅とあれば寄らないわけには行きません。すぐに左折して坂を上っていきました。


公園内のよかもん広場に車を止めました。山の上の方には神話館や展望台があるようでしたが、斜面は急で歩いていくのは大変そうでした。そこへロードトレインという客車付き改造車が山から下ってきて、これに乗れば中腹の神話館まで乗せていってくれるそうです。一人200円を払って乗り込みました。

神話館から展望台まではリフトが架かっていて、一人400円で往復してくれます。冷たく強い風が吹いているのでどうしようかと迷いましたが、折角ここまできたのだからとリフトに乗ることにしました。


冷たい風にさらされながら何とか展望台までやってきました。ここからは高千穂峰が左手奥に見えます。標高1574メートルのこの山は鹿児島県と宮崎県に跨ってそびえています。ゆっくり山並みを見ていたい気持ちもありましたが、寒さのために長居はできず、早々に下りのリフトに乗り込みました。


大晦日の霧島神宮は元旦の初詣の準備真っ盛りでした。境内や参詣の道沿いに露店が並び、仕込みの真っ最中でした。明日早朝に来るつもりなので、参詣はせずに戻ることにしました。霧島キャッスルホテルは国道223号沿いにあり、向かいは霧島観光ホテルが立っています。年末年始はどこのホテルも満室状態で、霧島キャッスルホテルにはこの日500人以上が泊まっていました。


ここの温泉は硫黄泉で、白濁したお湯でした。大浴場は地階にあります。湯気で写真は写せませんでしたが、南国の植物が浴室周りにあってムードを盛り上げていました。家族連れの子供達が浴槽で風呂桶を使って遊んでいるのには参りましたが。


平成26年1月1日 元旦 水曜日

本当は早朝に起きて、霧島神宮に初詣に行くつもりでした。しかし、昨夜ホテルの人に初詣の状況を聞いたところ、大勢の初詣の人で道路も境内も大変混雑するとのことでした。今日は鹿児島の最南端(離島は除きます。)の佐多岬まで行くので、神宮往復に時間がかけられません。やむなく断念し、途中に神社があればそこで初詣することにしました。朝食を済ませたら出発です。


1階のフロアで振り袖姿の美人従業員から新年の挨拶を頂き、久々に美女とのツーショット。さあ、佐多岬に向けて出発です。国道220号を海岸線沿いに南下していきます。錦江湾の東側を半周する旅です。


霧島市福山町は黒酢の里として知られていて、黒酢のメーカーや販売店が沢山あります。黒酢は壺に入れて熟成させるのですが、この壺が何千と並んでいる壺畑の写真をガイドブックで見たときから、行くことにしていました。今回の訪問先は福山黒酢株式会社です。


この会社が生産している黒酢「桷志田」(かくいだ)は材料や製法、熟成期間に特徴があります。宣伝になってしまいますが、3年の熟成期間を経てできてくる黒酢は素晴らしいものでした。壺から直接試飲させて頂きました。


一升瓶の桷志田と黒酢ドレッシングをお土産に購入しました。鹿児島空港でもらったガイドブックに付いていたクーポン券で、黒酢入りソフトクリームを頂戴しました。さっぱりしてとても美味しかったです。


車は霧島市から垂水市に入りました。垂水市には道の駅「たるみず」があります。当然寄りました。ここで笹団子のようなものを買いました。少し走ったところで神社の幟が見えたので、ここで初詣をすることにしました。ここは居世(こせ)神社で、御祭神は第29代欽明天皇の皇子とされています。


初詣を終えて車に戻る途中に海を見ると、桜島が噴煙を上げているのが見えました。当たり前のことですが、錦江湾を回る旅では桜島がどこからも見ることができます。この後、道の駅「にしきの里」に寄りましたが、正月に付き休業とのことでした。


さらに国道269号を南下して南大隅町に入り、そこの道の駅「ねじめ」に寄りました。しかし、ここも正月で休業でした。確かにここまで来ると走っている自動車の数もかなり減り、観光客も少なそうです。南大隅町根占まで来れば、佐多岬はもう少しです。国道269号から県道鹿屋吾作佐多線に入り、佐多岬を目指します。


佐多岬の前にどこかで昼食をと思っていましたが、道の駅が休業で、他に食事できそうな場所が見つかりません。とうとう今日の宿泊先「ホテル佐多岬」まで来てしまいました。ホテルのレストランでランチをやっていたので、ここで昼食を取ることにしました。これがとても美味しくて、夕食への期待が高まりました。ホテルの駐車場には「四極交流盟約」の看板が掲げてありました。


佐多岬はホテルからさらに6キロメートル南に進みます。道はトンネルの手前で通行止めになっていて、ここに車を止めてから歩きます。トンネルを抜け、遊歩道を暫く行くと御崎神社がありました。ここで本日2回目の神社詣でをしました。道はさらに続いていて、さらに数百メートル進んだところが岬でした。


佐多岬は屋久島や種子島を望むことができる大隅半島最南端の地です。沖縄の本土復帰以前では、本土最南端とされていたようです。前の四極盟約もそのころにできたのでしょう。岬の先端には佐多岬灯台がありました。この灯台は日本灯台50選に選ばれていますが、昭和60年以降は無人化されています。


この日は風が大変強く、海もかなり波立っていました。江戸時代末期、徳川13代将軍家定に嫁いだ「篤子」は、この沖を船に乗って江戸に向かったのでしたね。その時の船旅はどんなだったのでしょうか。彼女の人生のように波瀾万丈だったかもしれません。


一日見ていても飽きない景色でしたが、風がかなり強いので暫くして引き返しました。遊歩道を戻りながら駐車場に向かいました。午後3時半にホテルにチェックイン。今日の宿泊客はそれほど多くなさそうでした。ロービーには自転車で日本縦断を果たしてここに辿り着いた人達や、ここから日本の最西の地を目指した人達の写真や色紙が何十枚も飾ってありました。


ホテルの夕食は豪華そのもの。フィニッシュは大隅牛のステーキでした。お品書きがあれば良かったのですが、出されたものを次々に平らげてしまったので、ステーキの時には満腹状態でした。しかし、そこは貧乏人根性丸出しでしっかりと頂きました。

平成26年1月2日 木曜日

今日は根占からフェリーに乗り、対岸の指宿市に渡ります。フェリーの時間は9時ですが、30分前には乗船手続きが終了します。このホテルから根占までは車で約50分かかるとホテルの人から聞いていたので、折角の正月風の朝食をゆっくり味わう余裕もなく出発となりました。


急いだせいか40分ほどで根占のフェリー乗り場に着きました。車を所定の場所に止めてから、待合所の窓口で乗船手続を済ませました。フェリーなんきゅうは大隅町の根占港と指宿市の山川港を結んでいて、1日に4回ほど往復しています。


9時10分ほど前に山川港からの船が到着しました。車が降りるのを待って、今度は私達が乗り込みます。1階部分に車を止めてから、2階の客室に上がりました。家内は寒がりなので船室に入りましたが、私はデッキで海を眺めることにしました。


さほど広くない客室ですが、大型テレビも設置してあり、ちょうど箱根駅伝を放映していました。私はデッキで、離れゆく根占港を見ていました。昨日はとても強い風が吹いていて、このままだと明日の船は大丈夫だろうかと心配していましたが、今日は微風で快適な船旅です。


対岸には開聞岳が見えてきました。指宿市にある開聞岳は標高924メートルのさほど大きくない山ですが、海岸線に突き出た独立峰なのでとても雄大に見えます。だんだんと山川港が近づいてきました。まもなく到着のようです。


指宿では窯元を訪ねることにしていました。市内にはいくつもの窯元がありますが、今回は指宿市東方にある長太郎焼窯元を訪ねました。この窯元は島津家御庭焼の流れをくむ窯元で、開窯は昭和27年だそうです。伝統的な黒薩摩をベースに多彩な作陶が行われています。家内は黒千代香(くろじょか)が一目見て気に入り、お猪口とのセットを購入しました。

薩摩焼について
薩摩焼といえば鹿児島県内で焼かれる陶磁器の総称ですが、白もんと呼ばれる豪華絢爛とした磁気と黒もんと呼ばれる大衆向きの陶磁器に分かれています。白薩摩に対して鉄分含有量の多い土を用いることから黒くなるようです。薩摩焼酎を入れるのに最適だったかもしれません。特に黒千代香は、左手にお猪口、右手に黒千代香と言われるようにお酒のみにはたまらない一品のようです。



窯元から市内へ戻る途中、道の駅「いぶすき彩花菜館」に寄りました。裏手には錦江湾の雄大な景色が広がっていて、館内では地域の特産物や名物を販売していました。私はここで安奈芋かん(芋羊羹)を買いました。


この日の指宿はとても暖かく、沿道には菜の花が咲いていました。家内が以前から指宿でうなぎが食べたいと言っていたので、お昼は市内のうなぎ屋に行きました。前回の旅行では宮崎市でうなぎを食べましたが、今回は指宿のうなぎです。しつこくなくあっさり味のうなぎでした。


指宿市から国道226号で枕崎市に向かいました。国道を西に進むと開聞岳が正面に見えてきます。日本百名山にも選ばれた山で、周りに大きな山がないために鹿児島のほとんどの地域から見えるそうです。


レンタカー店でもらったパンフレットに、枕崎市の薩摩酒造が紹介されていました。薩摩酒造花渡川蒸留所がそれで、明治蔵の名称で生産と展示をしているとのことです。ホテルに入る前にここを訪ねることにしました。


薩摩酒造は焼酎の薩摩白波で全国的に有名です。この花渡川蒸留所ではいも焼酎を造る傍らで生産した焼酎の販売をし、また敷地の一角に花渡川ビアハウスを経営しています。花渡川ビアハウスではサツマイモを原料にしたビールを提供してます(当日は団体の貸切りで利用できませんでした。)。従業員の方に場内を案内してもらい、丁寧な解説をしてもらいました。お土産に鹿児島県内でしか流通していないという薩摩焼酎の原酒を購入しました。家内がこの工場で生産しているすべての焼酎を試飲した結果、一番美味しいとのことでした。


今宵の宿は市内にある枕崎観光ホテル岩戸です。各部屋から枕崎の夕日が堪能できるようになっていて、窓の向こうには東シナ海が広がっています。また、右手の先にはカツオで有名な枕崎漁港が遠望できます。


夕刻に近づいてくると西の方に夕陽がはっきりと見えてきました。今日は雲が多いせいかくっきりという訳にはいきませんが、西の空をあかね色に染めながら山並みに消え入ろうとしている夕陽がとてもきれいでした。


今夜の夕食も豪華なものでした。カツオのタタキは定番ですが、正月料理に加えて黒豚シャブシャブまで出てきて、鹿児島の味覚満載の食事に舌鼓を打ちました。毎日ご馳走続きで二人は”身身”ともに成長しているようです。


平成26年1月3日 金曜日

昨夜の夕食に負けないくらいの豪華な朝食でした。昨日は時間がなくてゆっくり食べられませんでしたが、今日は夕刻までに鹿児島市内に行けばいいのでのんびりです。丸餅の入ったお雑煮も頂戴しました。こぢんまりとしたホテルなので、客の動きに合わせて食事を出してくれるので、熱々ほかほかの食事ができました。


このホテルの大浴場は、「黄金の湯」として地域の銭湯にもなっていました。ホテルの宿泊客専用の時間帯以外は、地域の方々が入浴に来ていました。泉質が良いようで、飲料用の温泉水を持ち帰る人もいました。今日は知覧町の知覧特攻平和会館と武家屋敷庭園を訪ねます。


知覧特攻平和会館に近づくにつれて、道の両側に石灯籠のようなものが並んでいるのに気づきました。会館への進入路の両側も木立の後ろに道に沿って立っていました。後でこれは献塔であることを知りました。

第二次世界大戦の末期に知覧は日本本土最南端の陸軍特攻基地になりました。多くの若者がここから飛び立って沖縄の海で死んでいったのです。この会館は戦死した隊員の慰霊と史実を後生に残すために、基地跡の一角に昭和50年に建てられました。


当時の遺品や戦死者の手記、日記の加えて海から引き上げられた戦闘機などがたくさん陳列されています。また、特攻出発日まで特攻隊員が暮らした兵舎が戸外に再現されています。これらの展示は戦後69年の歳月を超えて、戦争の悲惨さを私達に語りかけています。



武家屋敷は平和会館から少し離れたところにあります。知覧の武家屋敷群は10余りの庭園と武家屋敷通りからなります。現在の区割りは18代知覧領主島津久峯の時代のものだそうで、230〜250年前のものです。通りの入口近くのお茶屋さんで入場券を買いました。


通り沿いにはいくつものお屋敷がありますが、公開されているものとされていないものがあります。それぞれが個人が所有する家屋で、現在も使われているお屋敷です。現在、10カ所が公開されていて見学ができます。


個人のものなので庭園にも個人の名前が冠せられていて、西郷恵一郎庭園、平山克巳庭園などと呼ばれています。いずれも手入れが行き届いていて、草木と岩、砂を巧みに使って造形されています。公開されているのは庭だけで、広い屋敷の奥には母屋などの建物が並んでいました。


武家屋敷通りを抜けた所に薩摩英国館がありました。歴史資料館とレストランからなっていて、個人が経営しています。英国と薩摩は薩英戦争もありましたが、古くから交流があったことからそれに因んで建てられたのではないかと勝手に想像しました。ここでスコーンやサンドイッチでイギリス風の昼食を頂きました。


昼食を済ませ、お土産のかるかんを購入し、いよいよ今回の旅のゴールである鹿児島市内に向かいます。途中で道の駅「川辺やすらぎの里」に立ち寄りましたが、珍しく何も買わずトイレだけをお借りしました。知覧から鹿児島市内までは約30キロメートル、あと僅かです。


鹿児島市内には午後3時前に着くことができました。宿に入るには少し早いので、市内の「維新ふるさと館」に寄ることにしました。維新ふるさと館は幕末から明治維新までの薩摩の歴史を紹介しています。島津家の歴史、西郷隆盛や大久保利通らの活躍の様子なども紹介しています。西郷隆盛が着ていた軍服が複製されていて、それを着て記念撮影ができます。


館内にはNHKの大河ドラマ「篤姫」で使用した篤姫の居室が展示されていて、当時の様子を想像することができます。「篤姫」は本当に素晴らしい番組でしたね。帰宅してからNHKオンデマンドで何度も見てしまいました。


ふるさと館の駐車場に戻る途中に、西郷隆盛生誕の地がありました。今は記念碑だけがある広場です。島津斉彬に見いだされて激動の幕末から明治維新を生き、西南戦争で散った西郷隆盛がここから出発したかと思うと感慨深いものがありました。


この旅の最後の宿は、天文館通りにあるセントイン2番館でした。チェックインして荷物を整理して、天文館通りに繰り出しました。どこからどこまでを天文館通りというのかは分かりませんが、市電谷山線のいづろ通駅から鹿児島中央駅あたりまでをいうのでしょうか。いずれにしても鹿児島随一の繁華街で、この通りの左右の通りを含めて大アーケード街になっていました。


あいにくの雨でしたが、アーケード街の店を覗いたりスーパーマーケットに立ち寄ったりしながら、今日の夕食場所である「黒福多」に着きました。旅の打ち上げはもちろん黒豚です。


黒豚つけ麺に黒豚のモツ炒め、黒豚トンカツに黒餃子。黒豚づくしの料理の数々でした。地方に行って地方の名所を訪ね、地方の食事を頂く。これが旅行の醍醐味です。自分の足と目を使って見知らぬ町を訪ねる、それに美味しい食べ物があれば言うことはありません。



平成26年1月4日 土曜日

ホテルで朝食を済ませて、午前9時に出発しました。レンタカーを返却するのは午後12時50分までなので、それまで市内を観光することにしました。まずは城山町にある西郷隆盛の銅像を見に行くことにしました。市立美術館や県立博物館に囲まれた小さな公園の中に銅像が立っていました。


今回の旅行の締め括りは仙巌園・尚古集成館です。市内からは車で20分ほどで着きます。また、鹿児島空港に向かう国道10号沿いにあるので、時間の無駄がありません。駐車場に車を止めて、入場券を購入して中に入りました。


仙巌園は1658年に島津家第19代光久によって建てられました。向かいの桜島を築山に、錦江湾を池に見立てた壮大なスケールのお屋敷でした。28代斉彬もこの地を愛し、勝海舟や篤姫、外国の使節なども訪れたそうです。



錫門をくぐって御殿に向かいました。御殿は別に500円の入場料を払うと、御殿の中を案内してもらえ、終わりに抹茶を頂くことができます。島津家の当主達の生活の様子などを解説してもらい、最後に和室で上品な和菓子で抹茶を頂きました。


お茶を頂いた後、屋敷の周りをゆっくり歩いて回りました。御殿の広大な周囲には、水力発電用のダム跡や曲水の庭、江南竹林などが配置されています。散策路が整備されていて、木立の中を当時の歴史に思いをはせながら散歩ができます。


途中、竹徑亭というお茶処がありました。抹茶などの他にぜんざいもあり、これを見逃すことができませんでした。家内は店内に陳列してあった西郷隆盛と大久保利通の原寸大の人形と記念撮影です。


集成館は島津斉彬が幕末に建設した工場群のことです。鎖国の終焉ととともに押し寄せてくる欧米列強に対抗するために、製鉄、大砲、造船、紡績、薩摩切子などの研究、製造をこの地で始めたのでした。それらの一部が集成館に展示してありました。なお、撮影禁止のために写真はありません。

12時30分にレンタカーを返却して、空港のレストランで昼食を取りました。14時50分発羽田行きスカイマーク306便は、満員の乗客を乗せて予定通りに飛び立ちました。7泊8日の沖縄・九州旅行は、特に意図した訳ではありませんが、前半は食欲をメインに後半は文化がメインになったような気がします。次回は何をテーマにするか、何がテーマになるか、楽しみになりました。


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